リスクとは何か
僕が働く学校は、「リスクを嫌う文化」ががっちり形成されている。
まずリスクとは何か。
これを定義づけしていく。
一般的に「リスク」と聞くと、多くの人はこう考える。
- 失敗すること
- 事故が起きること
- 問題が起きること
だから「リスク=悪いもの」と扱われる。
でも、これは半分しか合っていない。
リスクの本来の意味
リスクとは、
「結果が予測通りにいかない可能性」
である。そこには、
- 悪い結果も
- 良い結果も
どちらも含まれている。
つまり、
リスクがある=失敗する、ではない。
リスクがある=振れ幅があるというだけだ。
リスクがゼロの状態とは何か
では、リスクがゼロの状態とは何か。
それは
- 何も挑戦しない
- 何も変えない
- 何も決断しない
状態である。
一見安全に見えるが、
確実に失っているものがある。
それは、「成長」だ。
学校現場で起きている「リスクのすり替え」
多くの組織、特に学校では、
リスクがこう定義し直されている。
- 上司に怒られる可能性
- 説明を求められる可能性
- 前例がないと言われる可能性
つまり、
失敗のリスクではなく、面倒のリスクを恐れている。
だから判断基準がこうなる。
- × 成功するか
- ○ 誰も責任を取らなくて済むか
本当に管理すべきなのは「結果」ではない
本来、管理すべきなのは
「失敗するかどうか」ではなく、
- 最大損失はいくらか
- 取り返しがつくか
- 学びが次に残るか
ここだ。
リスクとは、排除するものではなく、「設計するもの」である。
私なりの定義
ここまで考えて、
私はリスクをこう定義することにした。
リスクとは、
≪挑戦した結果、説明が必要になる可能性≫
だからこの学校では、
リスクが嫌われる。
失敗が怖いのではない。
説明責任が怖いのだ。
説明責任が怖い組織がゆえに、ローリスク・ハイリターンでも そこにわずかでも「リスク」が存在すれば企画はおじゃん。
ハイリスク・ハイリターンなんてものは、もってのほか。危険すぎて気絶する。
- 「あだ名」はいじめのリスクがあるので禁止。
- 生徒とのLINE・DMは淫行の原因となるから禁止(でも緊急時は連絡しろ)。
- 校内での写真撮影は個人情報漏洩のリスクがあるため原則禁止(誰も映っていなくても)。
- ツーブロックや化粧は風紀を乱すリスクがあるため禁止。
- ポニーテールはうなじが見えて男性を誘惑するリスクがあるから禁止。
これらは実際にうちの学校で禁止されている項目だ。
事実を並べただけだが、これをみてゾッとした。
そんな学校なので、100人いたら95人が「やるべきだ」と判断する状況でも、
うちの組織は平然とNOを出す。
OKがでても、必ず陰口が伴う。
こんな現場でやりたいことなんて、基本的にできない。
問題の本質は「企画が通らないこと」ではない
ここまで来ると、問題は「企画が通らないこと」ではない。
通らない世界で、人はどう振る舞うようになるのか。
そこが本質だ。
その行き着く先を、少し冷静に分析してみる。
リスクを極端に嫌う組織で起こる連鎖
リスクを極端に嫌う組織では、次の現象が連鎖する。
① 表の会議が“儀式”になる
- 企画は通らない前提で出す
- 本音は言わない
- 会議は「否定されないための説明会」になる
→ 創造性はゼロになる、まさに時間のムダ
② 有能な人ほど裏で動く
- 「通す努力」より「黙ってやる方が早い」
- 小さく試す、数字を作る、既成事実を積む
→ シャドー組織化が始まる
僕の学校では、一定の部活において暗黙の了解みたいなもので押し通している。
③ ルール遵守が目的化する
- 成果より「怒られないこと」
- 判断基準が「成功確率」ではなく「責任回避」
→ 中間管理職が一番のブレーキ役になる
④ 信頼が崩壊する
- 上は「勝手にやるな」
- 下は「どうせ言っても無駄」
→ 組織は一体感を失い、個人事業主の寄せ集めになる
まさにうちの学校では一体感がない。
職員室に「一校一心」の校訓が掲げられているが「一校多心」である。
実は一番危険なのはここ
隠れてやる文化が定着すると、
次の最悪の学習サイクルが回り始める。
- 成功 →「たまたま」
- 失敗 →「ほら見ろ、だからやるな」
本来なら
挑戦 → 失敗 → 学習
で組織は強くなるはずなのに、
挑戦 → 隠蔽 → 責任回避
に変質する。
これはもう、組織が「衰退モード」に入っているサインだ。
教員となり、この学校に入職してから、「ほら見ろ、だからいっただろ」という言葉を何回聞いたことか。
リスクを取れない組織が本当に恐れているもの
多くの場合、恐れているのは失敗そのものではない。
- 前例がないこと
- 責任の所在が曖昧になること
- 評価制度に載らない成果
つまり怖いのは、
**「失敗」ではなく「説明不能」**なのだ。
理想論ではなく、現実的な突破口
文化を変える?
正直、それは無理だ。
だから私は、戦い方を変えることにした。
正面突破はしない。設計を変える
これが、今のところたどり着いた結論だ。
結論
世界で見れば95人が賛成する。
だがこの学校では、5人の立場の人間が95人分の重さを持っている。
ならばやるべきことは一つ。
賛成を集めることではなく、
「反対できない形」に変えることだ。
- 「良いか悪いか」ではなく
- 「止める理由がどこにもないか」
この視点で企画を組み直す。
ノーリスク主義の人たちは「正論」よりも「安心」が欲しい。
沢山の資料をもとにたくさんの安心を与えれば、しぶしぶGOを出す。
スタートさせてしまえば「彼ら」は手出しすることは基本的にできない。
なぜなら、彼らが恐れているのは失敗ではなく、
“説明不能になること”だからだ。
せいぜいできることは、陰から悪口を言い、足を引っ張ることくらいだろう。
まとめ
世界の95人が賛成しても、
この学校では5人がNOと言えば終わる。
ならば私は、YESを取りに行くのをやめた。
NOを出されない動きをすることにした。
次回 ⇒ じゃあ僕は具体的にどう“実験”しているか

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